2024/08/15 NO17 記
2022年 4月16日
騒乱8 人間はどこから来たのか
■宇宙開発の意味
興味深い新聞記事だった。(朝日新聞 Sunday, April 3,2022no.252) テーマは、紙面2頁にわたる大見出しで「火星移住」である。そこに記されている小見出しを拾ってみた。
□「何万人、最終的には何百万人の人々を火星に送り、そこから他の星を探査するのです。(イーロン・マスク スペース X CEO)
□ 人はなぜ、6000万キロ彼方の赤い惑星を目指すのか。その長く険しい道程は、人間の偉大な飛躍か、ノアの箱舟か。
□ 火星「地球化」は可能か、必要か。
□ 問われる「宇宙は誰のもの」
□ 人間が火星に行く意味、住む意味を考える必要がある。
等々である。これらの見出しから分かることは、宇宙開発研究者の間では、火星移住への探索が現実に始まっているということである。しかし同時にその現場では、それが本当に可能なのか、また必要なのか、その意味はあるのか、という問題も抱えている。人間は、常に進むべき正しい道を見出すことはできない。取り合えず興味の赴くままに行ってみる。そしてその結果を踏まえて次の行動を考える。つまり試行錯誤の繰り返しである。
その点に於いて、宇宙開発企業「スペースX」のイーロン・マスクは、火星を目指す理由をこのように語っている。(以下、括弧内は引用文 合田禄 アメリカ総局)
「地球上でよくないことが起こる可能性がある。我々が引き起こす惨劇であるかも知れないし、自然災害かも知れない。僕は生来の楽観主義者だから、そんな可能性は低いと思っているんだけど、でもゼロではない」。そして言う。「いずれは太陽が膨張し、すべての生命が滅ぶだろう。地球上のすべての命を大切に思う人たちにとって、人類は生命のスチュワード(世話役)であり、ガーディアン(守護者)なんだ。」「私たちが愛して止まない生物たちは宇宙船をつくることはできないけれど、、私たちはつくることができて彼らを地球の外へ連れて行けるんだ。それは非常に重要なことだよ。」
というわけで、火星移住への取り組みは、地球はやがて住めない星になってしまうという推論が前提となっている。そのために地上の命を救うのは人間の役目であるという。そしてマスクは、地球や火星、他の惑星に住むようになった人類をMultiplanetary Species(他惑星)と呼ぶ。人類をそのような「種」にすることこそが自分たちの使命であり、そしてSFの世界を現実にしていきたいという夢を遂げることでもある。さらに研究開発の別の理由としては、「この宇宙は何なのかを探る。地球の外に生命がいるのか、とかね。私たちはどうやってここに来たのか、生きる意味とは何なのだろう。銀河系を探索すれば、これらの疑問の答えが見つけられるのではないか。とてもエキサイティングだよね。」と語っている。
夢見る少年の気持ちを今も持ち続けているマスク氏である。実際に彼は、2021年に宇宙船ドラゴンに民間人4人を乗せてね三日間の地球周回旅行に成功している。火星までは届かないとしても、確かにその第一歩を踏み出している。とはいえ、膨大な費用のかかる火星探査事業への批判があることも事実であり、それだけの費用があるなら地球のために使うべきではないか、と言う声もある。マスクもそのことを認めているが、宇宙への好奇心をとどめるものではない。彼はこのように言う。「問題を解決することだけが人生ではないはずだ。心を動かされ、朝起きた時の喜びや将来への期待感を抱かせるようなものでなければならない。他惑星種となり、宇宙旅行をするようらなってSFを実現するんた゛。」
宇宙探査への彼の情熱は、知らないものを知りたいという人間本来の欲求である。勿論、未知なる宇宙への尽きない興味を持つ者は彼だけではない。それは火星探査の科学者たちに共通しているものである。クリストファー・マッケイ(NASA エイムズ研究センター)の意見も聞いてみよう。(以下、括弧内の引用文は、星野真三雄に依る)
マッケイは、火星のテラフォーミングについて、「第一段階は、マイナス60度の気温を地球並みに引き上げることで、これは百年あれば可能だ!」と言う。気温を上げて、水を溶かして水をつくり、それで植物を育てて、地球と同じように二酸化炭素を取り除いてもらい、人間が酸素呼吸できるようにする。理論的には、地球と同じような環境を火星にもつくるということであるが、ただし、そのようになるには10万年以上はかかるという。人間の推論に基づく、極めて無責任な非現実的な話である。さらにこの推論には、克服しなければならない難問がある。火星の重力は地球の三分の一なので、もしその環境で生きられるとすれば、それは「地球にいる種とは異なる人間になる可能性があり、差別や争いを引き起こす可能性がある。」その他のディスクとしては、生命がいるかも知れない火星の環境を地球のように変えることは、その生命を絶滅の危機にさらすことになる。倫理的に許されるのか真剣に考えるべきことだ。」と。このマッケイの話を聞いた人たちはどのように反応するだろうか。彼の言葉を一言で言えば、火星を地球と同じような環境に変えるならば、人間やその他の命が移住できる、ということである。確かにそれは理論であるが、私は、全く無意味な架空の理論であると思う。なぜなら、人間はこの地球に誕生して以来、何一つ、木の葉一枚、自然界に何かを付け加えたことはない。木の葉一枚造れない者がどうして地球を、地球と同じ地球環境を造り出せるだろうか。例えていえば、人間は、人間の知恵では全く手の届かない遺伝子によってその命が造られているのに、その被造物である人間が、逆にこれから自らの手で全く新しい遺伝子を造って、新しい命を生み出してみせる、と言っていることに等しいからである。つまり、この場合、創造した者と、創造された者の間には、決して超えることのできない違い、峻別された異なる知恵と領域があるということが認められないということを示している。それは科学的な思考であろうか。私はそうは思わない。その点について天の言葉が何と述べているかは次に述べるとして、いずれにしても、マッケイもマスクたち科学者たちが火星へ移住することを夢見ている理由は、そこに「生命がいるかも知れない、いたかも知れない」また、そのことを知ることによって「生命の起源である、人間はどこから来たのか」が分かるのではないか、という期待である。つまりその命題は、人類が永い間知りたいと願い求めてきた真理である。古代も今もその願いは変わっていない。
ただし、ついでに言えば、火星探査に於いて、科学者達とは全く異なる視点をもつ人たちがいることも紹介しておこう。
□ 「問われる『宇宙は誰のもの』」(星野真三雄 記)
ちなみに一人の政治家の見解を上げてみよう。それは2020年7月に火星探査機「アルアマル」が日本のロケット「H2A」で鹿児島の種子島宇宙センターから打ち上げられた時に来日した、アラブ首長国連邦の科学担当大臣が語った言葉である。彼は百年後までには、火星に60万人の都市をつくることを宣言し、これまでの欧米国中心の宇宙開発にアラブ首長国連邦も参加し、欧米中心の地球を飛び出して、火星に理想の国家をつくるのだと述べた。正直、笑えるコメントである。宇宙を見上げてさえもその思いは、地球に生きる人間的なレベルからのものであり、そこから一歩も脱却していない。
そこで星野真三雄記者は、そもそも「宇宙は誰のものか」という問い、その所有権について、京都大学教授の伊勢田哲治氏の見解を次のように紹介している。
「伊勢田が喫緊の課題として挙げるのは、『月や火星などの資源は誰のものか』という課題だ。1967年に発効した『宇宙条約』は、国家による天体の領有は認めていないが、資源の所有は明確に禁じていない。米国の『アルテミス協定』は、基本的に『月の資源は行った人が使っていい』という考え方で、米国のほかに日本や英国、カナダ、ルクセンブルク、UAF(アラブ首長国連邦)、ウクライナなどが署名しているという。その根拠について伊勢田は、17世紀の英国の哲学者ジョン・ロックの所有論を上げる。『誰のものでもないものに労働を加えた対象は所有してよい』という考え方だが、『他の人に十分残されている場合』という但し書きがついており、『月の資源の希少性をどうとらえるか』が協定の正当性を左右するとみる。そのように『現在の国家の力関係は置いておいて、理屈で考えるのが倫理学だ』と語った。火星という『人類の未来』の場に、地球上の国家の利害を持ち込む愚かさは避けなければならない。」
と、結ばれている。私は本当に驚いた。もし火星に移住できたとしても10万年以上はかかるだろうと予測している人たちがいる一方で、火星の所有権について語り、しかもそれを論じるにあたって、17世紀に生きた哲学者の考え方を引用して論じるとは、ただ驚くばかりである。天の言葉によれば、人間のこのような呟きは、まさしく地の上を跳びはねているバッタのたわごとである。星野記者が結んでいるように、未来があると確定できるわけでもない月の表面について、地上の利害関係を持ち込んで話してみたところで、どうなるものでもない。
私はここで、実際に月へ行った宇宙飛行士たちが語った言葉を思い出す。彼らが語ったところによると、多くの場合、月へ行った後の人生観は、ガラリと変わったという。神の存在など考えたこともなかったのに、神について考えるようになった人がいる。際に地球に帰った後に神の伝道師になった宇宙飛行士がいる。彼は言う。地球が美しく、優しく、そしてはかなげに宙に浮いている様を見ていると、それは奇跡としか考えられず、創造主のことを考えたと。また、自分がなぜ存在しているのかなど、人生の意味について深く考えるようになったと。しかし全ての人が同じようになるわけでもない。同じ宇宙体験をしながらも、坦々と任務を果たすことのみに専念している人もいる。経験をしても、何も感じない、何も新しく理解することもない、などさまざまで、それを決定するのはその人の心である。良くも悪くもその人の心が全てを決定する。月に対する場合も変わらない。上記のように、地球上の価値観をそのまま月へ持って行き、条約さえ決めてしまう人たちもいる。
では、天の神は、これらバッタの考え方をどのように見ておられるのだろうか。
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