2024/11/19 記 №38

 

■騒乱の終わり

 西暦33年、イエスが復活されてから40日目のこと、ベタニヤ付近のオリーブ山に弟子たちは集まっており、イエスが昇天される直前のことであった。イエスは弟子たちに最後の言葉を残された。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。

ですから、あなたがたは行って、

すべての民をわたしの弟子にしなさい。----

わたしは世の終わりまで、

いつもあなた方と共にいる。」(マタイ18:17-20 )

 何という壮大な言葉であったろうか。神は地上に真の平和をもたらすためにイエス・キリストを用いられ、彼に一切の権能を与えておられたのである。イエスは、地球はひとりでに出来て、人間も猿のようなものから人間になったとは言われなかった。

 天の言葉は言う。

「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストの下に一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」(エフェソス1:7-10  新共同訳)

 人類にとってこれほど驚天動地なものはない。神の秘められていた計画が地上で明らかにされたのである。それは神が長い間秘められていたご計画であった。天と地がイエス・キリストによって一つにまとめられる、それは悪魔サタンが神に逆らった当初からの神のお考えであった。しかし、地上の大半の人たちは、神などいないと教えられ、悪魔サタンの後ろ立てによって進化論で世界を構築してきたので、天地が一つであったなどという概念は全くなかったので、文字通り天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。しかしどんなに異議を唱え、わめき騒いでも、地球は回り続けており、人間はその上に乗せられている無力な生物の一つにすぎない。バッタは所詮バッタ、自然界の一部であっても、自然界を動かす力は一ミリもない。しかし天地が一つになった時こそ救いの業は完成する。その言葉には御名がかかっている。天の言葉は言う。

「エホバは言った。『預言者たちは私の言葉によって偽りの預言をしている。私は彼らを遣わしてはおらず、彼らに命じて語ってもいない。彼らがあなたたちに預言しているのは、偽りの幻、無価値な占い、自分たちの心のたくらみである。それで私が遣わしていないのに、私の名によって預言し、この土地は剣にも飢餓にも襲われないと言っている預言者たちについてエホバはこう言う。「その預言者たちは剣と飢饉によって滅びる。そして彼らの預言を聞いている民は、エルサレムの通りに放り出される。夫も妻も、息子も娘も、誰にも葬られない。私は彼らに見合った災いをもたらす」。』」(エレミヤ14:14-16 新世界訳)

 預言者と名乗る人の言葉が実現しないなら、それはエホバが遣わした預言者ではないと神ご自身が言われる。神の約束が必ず果たされるこれ以上の保証があるだろうか。さらにその神は、人類を救うことを約束してこのように言う。

「----これは大患難から出て来る人たちです。この人たちは、自分の長い衣服を自分子羊の血で洗って白くしました。そのため神の王座の前にいて、神殿でも昼も夜も神に神聖な奉仕をしています。そして、王座に座っておられる方は、この人たちをご自分の天幕で覆います。この人たちはもはや飢えることも喉が渇くこともなく、照りつける太陽の熱や焼け付くような暑さに襲われることもありません。王座の前にいる子羊が、この人たちを世話し、命の水の泉に導くからです。また、神はこの人たちの目から全ての涙を拭い去られます。」(黙示録 7:14-17  新世界訳)

 そしてエホバはまた言われる。

「わたしはエホバである。それがわたしの名である。

わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与えず、

わたしの賛美を彫像に耐えることもしない。

最初のこと---それらはいまや到来した。

しかし、わたしは新しいことを告げているのである。

それが起こり始める前に、

わたしはあなたがたにそれを聞かせる。」(イザヤ42:8,9  新世界訳)

 その時人類は、神は確かに「アルファであり、オメガであり、初めであり終わり」であったことを知らなければならなくなる。そして、新・地球物語が始まる。それは、御子イエスが人類のために信じられなほど大きく深い愛を捧げてくださったからできた神の王国であった。永く苦しかった悪魔サタンの体制は終わった。人の世の騒乱は止んだ。天の言葉は言う。

「今や世界は安らいでおり、騒乱は止んだ。

人々は歓声をあげる。

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地下の墓も騒ぎ経つ。

やがて来るあなたを迎えようと。」(イザヤ14:7-9 新世界訳)

 新しい地で人々は見るだろう。人間のどんな知恵、どんな想像をもってしても思い描くことのできなかった世界を! その約束が破られることは決してない。なぜならその約束は、何よりも何十億年も続いてる地上の自然界そのものが示しているからだ。天の言葉は言う。

「天が地を高く超えているように、

わたしの道はあなたの道を

わたしの思いは

 あなたたちの思いを、高く超えている。

雨も雪も、ひとたび天から降れば、

むなしく天に戻ることはない。

それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ

種まく人には種を与え

食べる人には糧を与える。

そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も

   むなしくわたしのもとには戻らない。

それはわたしの望むことを成し遂げ

わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ55:9-11 新共同訳)

 天が地より高いように、人間の知恵が天に及ぶことはない。自然界の法則があるから全ての命は生きてきた。ではなぜ、人間が神の知恵に注文をつけることができるだろうか。できるというなら木の葉を一枚造ってみればよい。道端に咲く小さな花を造ってみればよい。天の神に何を教えることができるというのか。 何もない、ただのひとつも!

 それでも天の神は、愚かなバッタに呼びかけて言われる。

「地の果てに至るまで、全ての人は私に頼り、救われるように。

私が神であり、ほかにはいない。

私は自分自身に懸けて誓った。

私の口から出た言葉は正しく、

  撤回されることはない。」(イザヤ45:22、23 新世界訳) 

 

                                                                                                                             終わり

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