2024/11/16 記  №36 

 

クーリング・オフ

 悪徳業者の言葉巧みな勧誘に騙されて、購入、もしくは契約してしまった後に「しまった!」「やられてしまった!」という経験があるだろうか。しかしそのような時に、助け船がある。「クーリング・オフ」制度である。それを使って助かったと思うことがあったであろうか。当人にとっては本当に有難い制度である。「助かった!」もうこれからは気をつけようと、胸を撫でおろしたに違いない。

 ちなみに、「クーリング・オフ」制度について説明されているパンフレットにはこのように書かれている。「クーリング・オフ制度は、違約金を払うことなく、無条件で契約を解除する制度です。」それで、「カシコイ消費者を目指そう!」と。ゆえにこの制度は、危うく悪徳業者の罠にかかりそうになっていた時の救助船である。そして私たち人類は、この悪徳業者にさらされている消費者である。彼ら悪徳の手練手管によって、偽りの罠にはめられている。悪徳業者とは悪魔サタンのことである。彼が罠を仕掛けているのは数か所ではない。全地の至るところに地雷を置いている。このことについてはわ「黙示録」のところで先述したように、龍と表現されている悪魔サタンは、政治機構、偽りの宗教、悪徳商法を行うことによって物質主義を煽りまくってきた人たちを用いて、多くの国民を欺いてきた。しかし神は、そのような悪魔サタンの手口に騙されないようにと、何度も親切に警告されてきたのだった。天の言葉は言う。

「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなた方の敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、誰かを食い尽くそうと探し回っています。」(ペトロの手紙1 5:8  新共同訳)

「悪魔に隙を与えてはなりません。」(エフェソス 4:27 新世界訳)

 まさしく悪徳業者に対して注意していなければならない点である。自らが欲望に負けてしまうなら、悪徳であることを見抜くことができないのだ。しかし、真理よりも欲望を満たすことを優先する人たちは、知らずに悪魔の手におちることがある。では、いったん悪魔の手におちたなら、もう救われることはできないのだろうか。いいえ、天の神は、悪魔サタンに騙された人たちに、人間のための「クーリング・オフ」制度を備えておられる。期間内であれば有効である。きちんとした手続きをするなら、悪魔の罠からでも抜け出せることができる。天の言葉は言う。

「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです。」(マタイ3:2  新世界訳)

「神の御心に敵った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。」(コリントの信徒への手紙2 7:10  新共同訳)

 キーワードは「悔い改める」である。誰でも失敗する。罪を犯さない者は一人もいない。その時、自分がそのことにどう向き合うかの問題である。自分で自分の罪を大目にみようとするなら、それなりの偽りが生じる。しかし自分自身に真正面から向き合うなら、誰でも悔い改めることができる。悔い改めは罪の度合いに左右されない。天の言葉は言う。

「『さあ、来るがよい。わたしたちの間で事を正そう』とエホバは言われる。『たとえあなた方の罪が緋のようであっても、それはまさに雪のように白くされ、たとえ紅の布のように赤くても、まさに羊毛のようになる。あなた方がその気になり、本当に聴くなら、この地の良いものをあなた方は食べるであろう。しかし、あなた方が拒み、実際に反抗的になるなら、あなた方は剣で食い尽くされる。えほばの口がこれを語ったからである。』」(イザヤ1:18 新世界訳)

 犯した罪が大きくても小さくても、その人が真に悔い改め、それを行動によって表すなら、神はどんな罪でも赦してくださる。人生の間違いを正す機会を与えてくださる。それが神の「クーリング・オフ」である。

 私たち人間が犯した罪が赦される、こんなに感謝すべきことが他にあるだろうか。人間社会では、同じ罪びとである裁判官が、他の人の罪を定め、その罪の度合いに応じて服役の期間が定められる。しかし彼ら人間の裁判官には、絶対に正しい裁きをすることができない。したがって冤罪も生じるし、不公正な判決を出すこともある。しかし神の裁きは絶対である。神はその人の心と行動の全て知っておられるので、全き公正を行うことができるのだ。汚れたものを吸うなら肺も汚れてしまうように、私たちは悪魔サタンが放出するあらゆる汚れたものを知らず知らずのうちに吸引している。それを生まれた赤ちゃんの時のようにきれいに一掃できるなら、そうしたいと思わない人はいないだろう。悔い改めとはその汚れを一掃することである。もしクーリング・オフの期間が切れてしまうなら、私たちはただ罪の内に死ぬだけである。何も残らない。

 ペテロはこのように記している。

「エホバは約束を果たすのが遅いと考える人もいますが、そうではありません。神は一人も滅ぼされることなく、全ての人が悔い改めることを望んでおられるので、皆さんのことを辛抱しておられるのです。」(ペテロ第二 3:9  新世界訳)

 一人でも滅ぼしたくない天の神は、忍耐しながら待っておられる。その期間がいつまで続くのかは誰も分からない。御子イエスも、それは神だけが知っておられることと言われた。したがってその日付が知らされることはない。ハルマゲドンは突然に来る。女に陣痛が臨む時のようにである。それでこの世で、私は神の時を予言しているという者が現れても決してその言葉に耳を傾けてはならない。ハルマゲドンの時の様子についてイエスが語られた言葉は次のようである。

「その時、世の初めから今に至るまで起きたことがなく、いいえ、二度と起きないような大患難があるからです。実際、その日が短くされないとすれば、肉なる者は誰も救われないでしょう。しかし選ばれた者たちのゆえに、その日は短くされるのです。その時『見よ、ここにキリストがいる』とか、『あそこに!』と言う者がいても、それを信じてはなりません。偽キリストや偽預言者が起こり、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして、大きなしるしや不思議を行うからです。ご覧なさい、わたしはあなた方に予め警告しました。それゆえ、人々が『見よ、彼はは荒野にいる』と言っても、それを信じてはなりません。『見よ、奥の間にいる』と言っても、それを信じてはなりません。稲妻が東のほうから出て西のほうに輝き渡るように、人の子の臨在もそのようになるのです。どこでも屍骸のある所、そこには鷲が集まっているでしょう。』『それらの日の患難のすぐ後に太陽は暗くなり、月はその光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう。またその時、人の子のしるしが天に現れるます。そしてその時、地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき、彼は、人の子が力と大いなる栄光を伴い、天の雲に乗って来るのを見るでしょう。そして彼は、大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし、彼らは四方の風から、天の一つの果てから地の果てにまで、その選ばれた人たちを集めるでしょう』。」(マタイ24:21-31 新世界訳)

 それでイエス・キリスト以外の者が予言を語る場合、誰もそれを信じてはならない。それは神が語らなかったことであり、悪魔サタンの罠であることを忘れてはならない。

真実なことは神以外のところからは来ない。

「神は岩のような方で、行うことは完全、

神の道は公正である。

決して不公正ではなく、信頼できる神。

正しく、真っすぐな方。」(申命記 32:4  新世界訳)

 かつてこれまで経験したことのない、この混乱した時代、信頼できるのは人間の言葉ではなく、天地の創造主である神の言葉である。そしてその言葉は、人類の始まりから終わりまでを告げておられる「聖書」に収められていた。他のどんな書物でもない。「聖書」は、私たち人間に命を与えた方、真の父からの人類に対する長い手紙であった。それに似せて、改ざんしたり、人間の書いたものを神の言葉だといって嘘をついている書物も無数にある。騙されてはならない。神の御子はただお一人であり、預言者たちも各々ただ一人である。それは、物質的な豊かさを求めるためのものではなく、霊的な喉の渇きを感じる人のためのものである。神が与えようとされているものは、ただ一つ、永遠の命という至宝である。それでイエスは言われた。

「わたしに向かって、『主よ、主よ、と言う者がみな天の王国に入るのではなく、天におられるわたしの父のご意志を行う者が入るのです』。」(マタイ7:21  新世界訳)

 信仰は言葉でもなく、知識でもない。神の言葉を行うことである。そのためには、罪を犯さない人は一人もいないのであるから、先ずは「悔い改める」こと、そしてそれを業によって示すこと、これが唯一、ハルマゲドンから救われる道である。そして神によって残されている「時」は短くなってはいるものの、変化する時間は未だ残されている。その時間が尽きないうちに、人生のクーリング・オフを使うようにと呼びかけておられるイエスの言葉を無視してよいだろうか。