2024/09/15  №30

■古代ユダのヒゼキヤ王に起きたこと

 それでは、生きている神エホバと、偶像の神々の違いについては、古代のイスラエル国民に起きた例を挙げて考察してみたい。これらの実例は、現代のイスラエル人がどのような過去を持つ民族なのか、彼らが今日でも他の諸国家のなかにあって、特に異彩を放つ民族であるのは何故か、などを知る一端ともなる。古代から今日まで続いているパレスチナの地とイスラエル国民(アブラハムの子孫であるイスラエルの12部族)との争いは、イスラエル国民が過去に、神エホバとどのような関係をもっていたかに起因している。

 では、実際に起きた一例を見てみよう。それが起きたのは、紀元前732年頃、ユダの王ヒゼキヤがアッシリアの王セナケリブと戦っていた時のことである。ヒゼキヤは多勢に無勢、人間的な観点からすれば勝ち目はなかった。しかし、信仰の王であったヒゼキヤは神に祈って言った。

「『ケルプたちの上に座しておられる、イスラエルの神エホバよ、ただあなただけが、地のすべての王国のまことの神です。あなたが天と地を造られました。エホバよ、耳を傾けて聞いてください。エホバよ、目を開けてご覧ください。生ける神を嘲笑するために言ってよこしたセナケリブの言葉をお聞きください。エホバよ、アッシリアの王たちが、諸国民とその地を荒れ廃れさせたのは事実です。そして彼はその神々を火に投じました。それらは神ではなく、人の手の作、木や石だったからです。それで今、私たちの神エホバよ、どうか彼の手から私たちを救ってください。地のすべての王国が、エホバよ、あなただけが神であることを知るためです。』」(列王第二 19:15-19 新世界訳)

 そしてエホバは行動された。

「その夜、エホバの使いが出て行き、アッシリア人の陣営で18万5千人を打倒したのである。人々が朝早く起きてみると、なんと彼らはみな屍骸となっていた。それゆえアッシリアの王セナケリブは逃げて行き、帰ってニネべに住むようになつた。そして彼がその神ニスロクに身を屈めていたとき、その子、アドラメレクと、シャルエツェルが剣で彼を打倒し、彼ら自身はアララトの地へ逃げたのである。そしてその子、エサル・ハドンが彼に代わって治め始めた。」(列王第二 19:35-37 新世界訳)

  つまり、神の戦いは人間的な戦いではない。武器による戦いて゛はない。神は一人の天使を用いることによって、一夜にして18万5千人を滅ぼすことができる。また、必要であるなら、自然界の力を用いて戦うこともできる。「ノアの日の洪水」は、その最たる例である。また、古代のソドムとゴモラの滅びに用いられたのは天から降ってきた硫黄であった。そして古代イスラエルの民がエジプトから解放された時、それを阻止しようとしたエジプトの王の軍隊に対して神が用いられたのは、武器ではなく10の災いをもたらしたのは自然界の力だった。記録によると、水を血に変えられたこと、カエル、ブヨ、アブ、疫病、腫物、雹、イナゴ、闇、最後はエジプト王の初子を含めて、エジプトの全ての初子が神の力によって殺されることだった。考えてみれば、どれも人間の知恵では考えられない゛武器゛である。しかも勝率は100%である。勝った負けたということはない。神に不可能はない。イエスは言われた。二人が同じ所に立っていても、一人は救われ、一人は滅びるのである。(マタイ24:40、41) これが生きている神エホバである。

 ちなみに、このような神に対して、偶像の神々について天の言葉は何と記しているだろうか。

「彼らの偶像は銀や金であり、地の人の手の業である。

口はあっても話すことはできない。

目はあっても、見ることはできない。

耳はあっても聞くことはできない。

鼻はあっても嗅ぐことができない。

手を持ってはいても、触ることはできない。

足を持ってはいても、歩くことはできない。

のどを使って声を出すわけでもない。」(詩編115:4-7  新世界訳)

 というわけで、エホバは生きていて力を及ぼす神であるが、偶像は、見ることも、聞くことも、嗅ぐことも、歩くこともできないただの金・銀・木・石である。ゆえに、それら人の手の業による偶像は、生きている人間に何か力を及ぼすものではない。ゆえに義人を救い、悪人を滅ぼす「公正」の力があるのは神エホバだけである。したがって、救われるために寄付金などは全く必要としない。もしお金が関わり、その多寡が関係する宗教であるなら、それはまさしくサタンが用いている偽りの宗教であり、決して神のものではないと天の言葉は言う。

「神は霊であられるので、神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなlりません。」(ヨハネ  4 :24  新世界訳 )

 真の崇拝は、形式的なものではなく、真理を以て崇拝しなければならない、これが天の言葉である。しかし、バッタの騒乱は続いている。彼らは天の言葉を信じることを許されていないからである。