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■「エデンの園」で起きたこと

 それでは悪魔サタンはどこから来たのだろうか。この世が始まる前の「エデンの園」を覗いてみよう。「エデンの園」は、中東地方に今も残っている四つの川、ピション、ギホン、ヒデケル、ユーフラテス川の源にあった。(創世記2:10-14 ) 神はその地に最初の人間夫婦となったアダムとエバを創造して置かれた。むろんのこと神の目的は、その後に、地に増え広がることになっていた子孫たちが、地球という星で永遠に幸せに生きることであった。しかし神の意図されたその善意は、予め警告されていたにもかかわらず、最初の人間夫婦が取った行動ゆえに微塵に砕かれた。二人は何をしたのだろうか。創世記の記述からみてみよう。というのもこの部分は多くの場合、かの有名な禁断の実であるリンゴを取って食べているアダムとエバの絵に象徴的に描かれているように、殆どが創作された物語として理解している人が多いからである。しかし信じても信じなくても、聖書そのものは、この部分は人類史にとって最も重大な出来事として描かれている。これまでの人類史の不幸の原因は百パーセントこの「エデンの園」で起きたことに由来する。ではそのことを聖句からみてみたい。

 神が地上に創造されたもののなかでいちばん最後に創造されたものは人間であった。このように述べられている。

「『私たちに似た者として人を造ろう。そして人に、海の魚、空を飛ぶ生き物、家畜、そして地面を動くあらゆる生き物を治めさせ、地球を世話させよう。』それから神は人を自分に似せた者、神に似た者として創造した。男性と女性を創造した。神は二人を祝福し、こう言った。『子を産み、増えて、地上全体に広がり、地球を管理しなさい。また、海の魚、空を飛ぶ生き物、地上を動くあらゆる生き物を治めなさい』。神は言った。『私は地上にある種をつける全ての草木と、種のある果実をつける全ての木をあなたたちに食物として与える。また、地上のあらゆる野生動物と、そらを飛ぶあらゆる生き物と、地上を動くあらゆる生き物に、緑の草木を全て食物として与える。』そしてそのようになった。(創世記1:26-30   新世界訳)

 人間は他の被造物とは異なり、神に似た特質をもつ者として造られた。そして人間は子を産んで増え、動物たちを治め、地球を管理する仕事が与えられたのである。そして、アダムとエバに一つの掟を与えて言われた。これが人間に与えたいちばん大切な掟であった。

「エホバ神は人にこう命じた。『庭園の木の実わ満足するまで食べてよい。しかし善悪の知識の実は食べてはならない。それを食べた日にあなた必ず死ぬからであるる。』」。(創世記2:16:17   新世界訳)

 この聖句こそが、あの禁断の実のリンゴとして描かれているところであり、むろんのこと木の実はリンゴと断定されてはいない。ここで食べてはならないと言われた木の実とは、「善悪の知識の実」のことであり、それが意味することは、宇宙内で絶対的な善悪を決めることができるのは創造主のみであり、被造物の一つに過ぎない人間にその力はないということを認めるようにという象徴的な言葉であった。それでも神は人間をロボットには造られなかった。自由を賦与されていたのである。だが、アダムとエバはその自由の選択を誤った。つまり、最初の人間夫婦であった彼ら二人は、神から与えられていた、子々孫々に至るまで永遠に生きられるようにと設計されていた貴重な自らの体を、神が定めておられたたった一つの掟を破ることによって人間を「死」に渡したのである。何という大きな罪を犯したことか! そのようにアダムとエバを欺いたのは悪魔サタンである。悪魔はそのことによって地上に於ける最初の殺人者となったのである。彼は元は天使の一人でありながら、神に逆らう者となって「悪魔」(ギリシャ語のディアポリスには中傷する者の意)となり、サタン(ヘブライ語で敵対者、誹謗する者、妨げるという意)となった。このようにして一人の天使が悪魔サタンと呼ばれるようになり、人類を悲惨な状況に陥れた張本人となったのだった。次のように記されている。

「さて、エホバ神が造った野生動物の中で蛇が最も用心深かった。蛇が女に言った。『あなたたちは庭園の全ての木の実を食べてはならない、と神が言ったのは本当ですか』。女は蛇に言った。『わたしたちは庭園の木の実を食べてよいのです。でも、庭園の真ん中にある木の実について、神は、「食べてはならない。触れてもならない。食べたり触れたりするなら死ぬ」と言いました』。蛇は女に言った。『あなたたちは決して死にません。その木の実を食べたため日に、目が開かれ、あなたたちが神のようになって善悪を知るようになることを神は知っているのです』。

 そこでその女がその木を見ると、おいしそうな実がついていて、魅力的な美しい木に見えた。それで女はその木の実を取って食べ始めた。その後、一緒にいた夫にも渡した。夫もそれを食べ始めた。すると二人の目は啓かれ、自分たちが裸であることに気づいた。それでイチジクの葉をつなぎ合わせて腰を覆う物を作った。そこで二人は園の中の木々の間に隠れた。そこでエホバ神はアダムに言われた。「『裸であると誰から言われたのか。食べてはならないと命じた木の実を食べたのか』。人は言った。『あなたが私に下さった女、その女がくれたので食べました』。そこでエホバ神は女に言った。『あなたがしたことはいったいどういうことか』。女は答えた。『蛇が私を騙したのです。そこで食べました』。それからエホバ神は蛇に言った。『あなたはこうしたことを行ったので、全ての家畜と野生動物の中で卑しいものとなる。あなたは腹ばいになって動き、生涯ずっと土を食べる。そして私は、あなたと女との間、またあなたの子孫と女の子孫との間に敵意を置く。彼はあなたの頭を砕き、あなたは彼のかかとに傷を負わせる』。女にはこう言った。『私はあなたの妊娠中の苦痛を大きくする。あなたは苦しみながら子供を産む。あなたは夫との親密さを求め、夫はあなたを支配することになる』。アダムにはこう言った。『あなたは妻の言ったことに従い、「食べてはならない」と命じた木の実を食べたので、あなたのせいで地面は災いを被った。それであなたは、地面から食物を得るために生涯ずっと苦労する。地面には茨とアザミが生え、あなたは野の草木を食べなければならない。あなたは額に汗して食物を得、やがて地面に戻る。そこから取られたからだ。あなたは土なので土に戻るのである』。」(創世記3:11-19 新世界訳)  

  ここで神は、掟を破ったアダムとエバと、そして二人を誘惑した悪魔サタンのそれぞれに対して、警告されたとおりの罪を言い渡された。悪魔に対しては、3:15節で最終的に彼はイエス・キリストによって滅ぼされること、女には男に支配され、産みの苦しみが増し加わること、男に対しては、その人生は苦しみに満ちてそして土に返ることなどである。これらの預言は、悪魔サタンの最終的な滅び(ハルマゲドン)の時が未だ将来に残されているだけで、他は全てその通りになっているのではないだろうか。

 私はこの短い節を読んだ時のことを今も忘れない。薄陽が差していた小さな部屋のなかでなぜか私はひとりで涙していた。感動でいっぱいだった。尋ね求めていた真理を見つけたのだった。短い言葉のなかに、壮大な物事の深淵さが凝縮されていたのである。人間には決して書けない知恵が満ちていた。結局のところどんな人生も、額に汗して食べ物を得、そしてまた土に返る、ただそれだけのことである。そのほかには何もない。風のごとく飛び去って行くだけである。にもかかわらず、人はみな朝露のように短い人生のなかで苦しめられ、不条理に悩まされる。そのために、それらの疑問の答えを見出そうと必死になって、さまざまな主義主張をし、宗教や哲学などを生み出してきた。けれど何一つ納得する答えを見出すことはできなかった。それで多くの人は諦めようともがき苦しみながら死んでいっている。しかし、もしその大いなる苦悩と疑問をもつ人間を造られたのが神であるなら、創造主として神はそれらの疑問に答えなければならない。それは造り主としての責任である。そしてもちろんのこと神は全てに答えておられた。生きることの意味について。なぜ世界は不条理なのか。これら根源的な苦しみから人間が解き放たれる時は来るのか。等々、人間が抱いている無数の疑問に答えておられた。そのために神は、人類史の初めであるエデンの園で事件が起きた時、人類史の最後まで預言しておられたのである。そしてその鍵を握るのが、「彼はあなたの頭を砕き」と記されている、将来、神の御子として地上にこられるイエス・キリストである。彼は宇宙的なストーリーによって悪魔サタンの頭を砕いて、世界の悪を終わらせることになっている。(この創世記3:15節は、聖書の核心なので、この書のなかで漸次述べていくつもりである。)

 つまりこの創世記3章の聖句は、悲惨な人間社会を構築してきたのは悪魔サタンであり、彼は人の心のなかに住んでいる悪い心という抽象的なものではなく、実在者であることを明らかにしている。そして彼は今のこの世界を牛耳っている真の支配者である。そのことは、「全世界が邪悪な者の支配下にあることをーー」(ヨハネ第一 5:20)と明記されている。それでこの体制下に生まれてきた全ての人間は、それとは知らずに悪魔の影響を空気のように吸って育ってきた。言い換えるならこの世界は、悪魔サタンの価値観を正しいとみなしてきたのである。天の言葉は言う。

 「災いだ、悪を善と言い、善を悪と言う者は、

 彼らは闇を光とし、光を闇とし、

 苦いものを甘いとし、甘いものを苦いとする。

 災いだ、自分の目には知者であり、

 うぬぼれて、賢いと思う者は。

 災いだ、酒を飲むことにかけては勇者、

 強い酒を調合することにかけては

  豪傑である者は。

 これらの者は賄賂を取って悪人を弁護し

 正しい人の正しさを退ける。

 それゆえ、火が舌のように藁をなめ尽くし

 光が枯れ葉を焼き尽くすように

 彼らの根は腐り、花は塵のように舞い上がる。

 彼らが万軍の主の教えを拒み

 イスラエルの聖なる方の言葉を侮ったからだ。(イザヤ書 5:20-24  新共同訳)

  またこのようにも言う。

 「---我々は欺きを避けどころとし、

 偽りを隠れ家とする。」(イザヤ書 28:15  新世界訳)

 そのためにこの世界では、善を善と言うことも、悪を悪と言うこともできない世の中で生きてきた。真実を語るなら不利になり、あるいは時には命さえ奪われるという時代を生きているのである。まさしく嘘を避けどころとしなければならないこともある。これは神の教えでも価値観でもなく、神に逆らい、中傷し、誹謗してきた悪魔サタンがまき散らし築いてきた価値観である。

 国家間の戦争はその最たるものである。ひとたび戦争になると、人間は良心を振り捨てて戦場に立つ。それが悪魔が教えてきた正義である。そうしなければ、あなたは自分も愛する家族も守れない、それこそが正義ではないか、と教えられてきた。人類社会は、悪を善、善を悪としなければ生き残っていけないような泥沼に落ちてしまった。天の言葉は言う。

 「災いだ。主を避けてその謀り事を深く隠す者は。

 彼らの業は闇の中にある。

 彼らは言う。

『誰が我らを見るものか。

 誰が我らに気づく者か』と。」(イザヤ書 29:15  新共同訳)

 悪魔は、権力という道具を用いて自分の欲望を遂げようとする。特に政治権力は悪魔が好んで用いるツールである。それに逆らって生きることはとても難しい。ドイツのナチ政権が行ったことはその典型的な例である。このように人類史を顧みるとき、恐怖的権力の背後には何時も悪魔サタンがいた。ゆえにその権力と戦うことはいつも命を賭けることであった。まさしく天の言葉が述べているとおりである。

 「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る門は広くてその道は広々としており、それ 

 を通って入って行く人は多いからです。一方、命に至る門は狭くて、その道は狭めら 

 れており、それを見つける人は少ないのです。」(マタイ7:13、14 新世界訳)

 狭い門をくぐるとは、悪魔サタンと戦うことである。世との闘いが待っている。しかしその道だけが唯一、真の命に至る道であり、神の約束である。しかしどの道を行くかはその人の自由であり、神はそれを許しておられる。