2024/5/6

  初めまして。津山千恵と申します。今度ブログを始めました。実はブログはこれで二度目です。一度目はもう十数年も前になりますが、すぐに止めました。記事に関係のない不道徳な写真や言葉等が多数投稿されてびっくり。とても我慢できなかったからです。なのにどうして再び? 自分自身にそう問いかけますが、その悪徳の間をかいくぐってでも、今のこの〝時〟に是非とも公開したいと思う原稿を書きあげたからです。この作品、『天の言葉とバッタ』は、コロナ禍のなかで書きました。未刊です。かなり長編で183,000字ありますので、毎日、少しづつ公開していきたいと思います。ちなみに私は物書きの端っこにいる者です。

 <執筆の動機>

 一世紀、イエス・キリストは、は今日の私たちが目撃している世界についてこのように預言されました。「あなた方は、夕方になると、『夕焼けだから晴れる』と言い、朝には、『朝焼けで雲が出ているから、今日は冬のような雨が降る』と言います。空模様から天気を見分ける方法を知りながら、時代のしるしは見分けられないのです。」(マタイ16:2、3 新世界訳)

 今、私たちが神の時刻表のなかでどこに位置しているかを見分けるようにと言われたのでした。今日、地球は、各国間の戦争に加えて、疫病や食糧不足、自然災害など、地球規模の災難(ポリクライシス)の時代に入っています。この艱難は、これまで人類が経験しなかったことであり、もはや人間の力だけでは対処することも出来ない時代です。しかしイエスは、このような時代が来ること、そのことを見分けるようにと警告されていました。さらに、地球と人類の将来とその結末まで、全てのことを明らかにされました。預言者イザヤも、「私は、結末を初めから、まだ行われたいないことをずっと前から予告する。『私の決定はその通りになり、私は自分が望むことを全て行う』と言う。」(イザヤ46:10  新世界訳) と神の言葉を記しています。

 それで多くの人々が将来に漠然とした不安を抱き、どこに希望を見出してよいのか分からない今の時代にあって、もしかすると、「そうだ、聖書があったではないか。聖書は何と述べているのか?」と、最後の拠り所としての一冊の書である『聖書』のことを想いだされる方がいるなら、たった一人であってもその方のために私はこの作品を書こうと思いました。神はこう呼びかけておられるからです。「地の果てにいるすべての者よ、わたしのほうを向き、救われよ。わたしは神であり、ほかにはいない。」(イザヤ45:22 新世界訳)

 それゆえに、この作品には、個人的な見解はなく、聖句で埋め尽くされていますので、もしかすると読みづらいと思われるかも知れませんが、信じても信んじなくても、『聖書』は、記されていることは全て必ず実現するという視点で書かれていることを決して忘れないでください。そのために当然のことながら記されていることはあなたの見解、人間の理性を超えていますが、それはむしろ当然なことです。人間の知恵と天の知恵は天地ほども違い、そうでなければ神の言葉とは言えないからです。では、少しずつ紹介していきますので、お手持ちの『聖書』と照らし合わせながらお読み頂ければ幸いです。そして、地上の出来事がこんなにも絶望的な状態であっても、真の希望はある、神は地球と人類を見捨てておられないことを知って頂けたらと思います。共に生きていく真の意味を分かち合えますように!